アニメはきらいだった・・・
キャンディキャンディを知ったのは、テレビのアニメ版が最初でした。原作漫画を読みはじめると、アニメ版の絵や展開がイヤになりました。
ところがね、見なおしてビックリ。
原作にない、キャンディとアンソニーの二人きりのデート回があります。
この回は、本放送のときに、見たはずでした。
うっすら覚えていました。
あのころは、恥ずかしかった。
この歳になったわたしは、二人の関係性を、ほほえましく感じました。
特にデート終盤、二人で鐘楼にのぼり、鐘がなりはじめる。
大音響で、キャンディとアンソニーは、自分の耳を両手でおさえながら、顔を見あわせて笑う。
いいシーンでした。
少女と少年が、いたいけで、いとおしい。
この回を書いた人、描いた人の気持ちが伝わってきました。
それから初期のころに、レイクウッドでアルバートさんに会うため、夜道を川沿いに歩くシーンで、エンディング曲がながれます。
「あのひと~が わたしを~ よんでいる~♪」
てアレです。
この時点では、養女にすらなっていない。
だれもがアンソニーに注目しているころ、アルバートが重要人物だとは、だれも思わないころに、こんなヒントをだしているんです。
キャンディが会いに行こうとしているのは、まさに丘の上のあの人デアル、ってね。
そしてアンソニーが亡くなり、キャンディが泣いているところにあらわれた彼は、いつも通りラフな姿で、胸ポケットからハンカチを取とりだして涙をふいてやります。
これも原作漫画では、描かれていない(加筆修正されてないのなら)。
胸ポケットにハンカチを入れてるって、男性でなくとも不自然!
これはたぶん、アルバートは胸元にポケットチーフを入れるような階級の人間デアル、と暗示しているんですね。
主役のキャンディの声は、なんかちがうとおもってました。
でも成長してからのキャンディのしゃべり方は、あたたかさと、どこか色っぽい感じがして、こういう解釈も悪くない。
テリィにしても、富山敬さんの声は、当時のわたしのイメージする雰囲気と、ちがっていてイヤでした。
でも今みると、上手いんです。
印象的なのは、病院での別れのシーンの独白。
「ターザンそばかす、レディそばかす・・・云々」
あだ名にありったけの感情が乗っていて、せつないせつない。
富山敬さんは、どれほど真剣に演技していたことでしょう。
あの当時の少女向けアニメの制限のなかで、制作者チームや声優さん方も、全力で取り組んでおられた。
当時は月1回の漫画誌掲載が、アニメ放映を追いこさないよう、エピソードを水増ししていたらしい。
このため、原作にない話がいっぱいあって、主要な登場人物の性格までちがってしまうようでした。
今だったら無理に水増ししないで、第一シリーズ、第二シリーズって区切るでしょうけどね。
あの時代は、それが当たり前で、しかし、その中で生まれた名場面もたくさん、あったんだなあと思いました。
キャンディは、甘々のご都合主義少女漫画とは一線を画す物語です。
リメイクやってくれたらいいのにねえ。
セーラームーンだって、20年すぎてリメイクして、人気を得てるんです。
本当ならキャンディも、とっくに良質のリメイクができて、続編とか、乙女ゲーム版とか、いろいろ出来ていたでしょうに。
スポンサーだって、いくらでもついたでしょうに。
だけど下手なリメイクなら、なくていい。
リメイクできないからこそ、半世紀ちかくたっても、世界中でファンフィクション花ざかりなんですよね。
これはこれで、楽しいからいいかなあ・・・?
ところがね、見なおしてビックリ。
原作にない、キャンディとアンソニーの二人きりのデート回があります。
この回は、本放送のときに、見たはずでした。
うっすら覚えていました。
あのころは、恥ずかしかった。
この歳になったわたしは、二人の関係性を、ほほえましく感じました。
特にデート終盤、二人で鐘楼にのぼり、鐘がなりはじめる。
大音響で、キャンディとアンソニーは、自分の耳を両手でおさえながら、顔を見あわせて笑う。
いいシーンでした。
少女と少年が、いたいけで、いとおしい。
この回を書いた人、描いた人の気持ちが伝わってきました。
それから初期のころに、レイクウッドでアルバートさんに会うため、夜道を川沿いに歩くシーンで、エンディング曲がながれます。
「あのひと~が わたしを~ よんでいる~♪」
てアレです。
この時点では、養女にすらなっていない。
だれもがアンソニーに注目しているころ、アルバートが重要人物だとは、だれも思わないころに、こんなヒントをだしているんです。
キャンディが会いに行こうとしているのは、まさに丘の上のあの人デアル、ってね。
そしてアンソニーが亡くなり、キャンディが泣いているところにあらわれた彼は、いつも通りラフな姿で、胸ポケットからハンカチを取とりだして涙をふいてやります。
これも原作漫画では、描かれていない(加筆修正されてないのなら)。
胸ポケットにハンカチを入れてるって、男性でなくとも不自然!
これはたぶん、アルバートは胸元にポケットチーフを入れるような階級の人間デアル、と暗示しているんですね。
主役のキャンディの声は、なんかちがうとおもってました。
でも成長してからのキャンディのしゃべり方は、あたたかさと、どこか色っぽい感じがして、こういう解釈も悪くない。
テリィにしても、富山敬さんの声は、当時のわたしのイメージする雰囲気と、ちがっていてイヤでした。
でも今みると、上手いんです。
印象的なのは、病院での別れのシーンの独白。
「ターザンそばかす、レディそばかす・・・云々」
あだ名にありったけの感情が乗っていて、せつないせつない。
富山敬さんは、どれほど真剣に演技していたことでしょう。
あの当時の少女向けアニメの制限のなかで、制作者チームや声優さん方も、全力で取り組んでおられた。
当時は月1回の漫画誌掲載が、アニメ放映を追いこさないよう、エピソードを水増ししていたらしい。
このため、原作にない話がいっぱいあって、主要な登場人物の性格までちがってしまうようでした。
今だったら無理に水増ししないで、第一シリーズ、第二シリーズって区切るでしょうけどね。
あの時代は、それが当たり前で、しかし、その中で生まれた名場面もたくさん、あったんだなあと思いました。
キャンディは、甘々のご都合主義少女漫画とは一線を画す物語です。
リメイクやってくれたらいいのにねえ。
セーラームーンだって、20年すぎてリメイクして、人気を得てるんです。
本当ならキャンディも、とっくに良質のリメイクができて、続編とか、乙女ゲーム版とか、いろいろ出来ていたでしょうに。
スポンサーだって、いくらでもついたでしょうに。
だけど下手なリメイクなら、なくていい。
リメイクできないからこそ、半世紀ちかくたっても、世界中でファンフィクション花ざかりなんですよね。
これはこれで、楽しいからいいかなあ・・・?